御津宮について御津八幡宮

御津宮について

御祭神・御神徳

御祭神・御神徳

御祭神

応神天皇(おうじんてんのう):
第15代天皇
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):
第14代天皇・応神天皇の御父
比咩大神(ひめおおかみ):
当宮では神功皇后を意味し、
応神天皇の御母・仲哀天皇の皇后

御神徳

厄除開運・安産守護・必勝祈願

由緒

由緒

御津宮(御津八幡宮)は現在の心斎橋一帯の産土の社です。
この地は、江戸時代初期以来全国有数の商業の街として発展し、今日ではこの辺り一帯は「ミナミ」と呼ばれ、大阪の繁華街を形成しています。

当宮は神社縁起に依れば、孝謙天皇の天平勝寶元年(749)、奈良の手向山八幡宮が東大寺の守護神として宇佐神宮(大分県)から勧請された折、宇佐からの神輿がこの地に上陸し、一時安置され、後にここを御津八幡宮と改めたとあり、たいへん古い歴史を有する神社です。

石清水八幡宮(京都府)が源氏の氏神として勢力を伸ばした時代には、当宮もこの地に広大な社領を有し、また境内には後鳥羽上皇(第82代天皇)によるとされる勅願所碑があり、古くから朝廷からの信仰も厚かったことが伺えます。

一時は大坂の陣によって荒廃しましたが、江戸時代に入り、町民の努力により再建され、当時の浮世絵などには現在の心斎橋筋で町を挙げて当宮の正遷宮をお祝いしている様子も描かれており、境内こそ約400坪と狭いものの常時参拝者も多く、今も神社前を東西に伸びる街路は「八幡筋」の名を以て呼ばれ、大阪人にとって古くから親しみのある社として今日に到っています。

現在の社殿は、昭和20年(1945)の大阪大空襲で本殿・拝殿全て焼失し、昭和35年(1960)に再建されたものです。

御津八幡宮文書

御津八幡宮文書

当宮に伝わる古文書「御津八幡宮文書」
一括(1,695点)は、平成29年(2017)に
大阪市指定有形文化財に指定されました。
今後、少しずつでもこの文書を
ご紹介できればと思っております。