ギャラリー
昭和20年(1945)の大阪大空襲で旧本殿は焼失し、現在の本殿は昭和35年(1960)に再建されたものです。
石宮龍王をお祀りしており、鳥居などの寄進もあり、氏子崇敬者の信仰の厚いお社です。特に辰年は、例年以上に沢山の方がお参りされます。
勅願所碑は、後鳥羽上皇(第82代天皇)によるとされる勅願所碑で、寛政年間(1790年代)に刊行された「攝津名所圖會」にも描かれており、亀趺(きふ)という亀の形をした台石の上に載っていましたが、昭和20年(1945)の大阪大空襲で破損し、碑だけが残っていました。令和5年(2023)11月、ご奉納により元の形に復元できました。
※勅願所(ちょくがんしょ)とは:時の天皇や上皇の勅命により、国家安泰などを祈願する神社。
この亀石は復元以来「撫で亀」として大変親しまれ、多くの参拝者の方に撫でていただいております。ご参拝の際は、おかえり前に撫でられると、良いことがあるかもしれません。
近年、ペット絵馬の奉納が特に増え、ワンちゃんや猫ちゃんたちの可愛らしい絵がたくさん並んでいます。
ここで身を清めてお参りいただきます。
手水石に刻まれている「清浄」の文字は元大阪市長による書です。
覆屋含め、ご奉納いただきました。
令和5年(2023)11月に、参拝客の皆様に当宮の由緒を分かりやすくご覧いただきたく、ご奉納いただきました。
氏子さんより譲り受けた碑です。
※石敢當(せっかんとう)とは:魔除けの役割を果たす石碑のこと。
本殿再建に合わせて、昭和37年(1962)に、ご奉納いただきました。
碑文内容:『八幡町』
当町は明治初頭、大坂三郷南組の南毛綿町であったが、明治五年三月八幡町となった。同一二年二月南区に、同二二年四月市政施行にともない大阪市南区八幡町となった。平成元年二月南区は東区と合区して中央区となり、同日付の住居表示の実施にともない新しい心斎橋筋二丁目・西心斎橋二丁目の各一部となった。
町名は、御津八幡宮がある町筋であることに由来する。
平成七年三月